マラウイに来て一週間

派遣中

マラウイに来て一週間が経ちました!

ところどころの写真を掲載しつつ、この一週間を経て感じたことを後述

※トップ画像は、首都に流れている川で洗濯などをしているところ。この写真では見にくいけれど、右側にはスラムが広がっている。

 

首都、中心街近くのモスク。かなり立派できれいな建物。ちなみにマラウイの約8割がキリスト教で、1割強がイスラム教、残りが地元の宗教

 

首都の露店。日本で見る野菜は大抵手に入る

⇅首都のスーパー。かなりきれいで、野菜・果物はもちろん、お肉やお米もある。ただ、このクオリティのスーパーは首都にしかないとのこと

 

一週間経って思うこと

開発ってなんだー?と諸々考える一週間になる。あまり思わしくない考えかもしれないけれど、今思うことをつらつら記載。基本的には「~だから悪い」とかいった考えはなく、ただ単に感じていることを記載

 

「途上国の人々に自立を促すこと」「支援する側・される側の構図を無くすこと」っていうのが最近の国際関係の中でよく耳にする言葉。ただ、ここに来て感じることは「支援する側・される側」の構図は無くなることが難しいだろうし、それが必ずしも悪いことではないのかなと思い始める

 

まだ実際の任地へは赴任しておらず、最初の1カ月間は首都で暮らしている。その首都暮らしの中で感じることとして、どちらかが良いとか進んでいるとかは答えがないのだろうけれど、日本とここマラウイの「違い」はとても大きい。同じ人類なのかと感じるほど、日本や欧米の人たちと、ここの人たちとは何か根本的に違うのかなと

 

同じ人類だけど、資本主義の考え方を受け入れ、競争が好きな人々もいれば、そうでない人々もきっといる。よく「魚をあげるのではなく、釣り方を教えることが良いこと」と聞く。けれど、この世の中には魚をひたすら釣ることに夢中になったり、それがとても上手な人がいる。一方で、魚を釣ることが苦手な人や、そもそも魚を釣るには立地が悪い人がいる

 

今の国際関係の風潮は、苦手な人に教えようと頑張ったり、魚が十分に釣れるだけの川を一生懸命整備しようとしている感じ。だけど、こういったことをするよりも、得意な人がたくさん釣って、それをちゃんと苦手な人に届けることができれば、教えたりすることに注力しなくてもよいのかなと

 

もちろん、ここでの「ちゃんと」届けるということも、「教える」ことと同じくらい難しいことなのかもしれない。けれど、ここに来て感じることとして、「教える」よりも「届ける」ことにもっと注力してもいいのかなーと

 

どうしても、「教える」となると、その時にこちらの意図がかなり伝わってしまう。現地の文化にそぐわないようなことも生じそう。そうではなくて、魚をあげたり、ネットなどのインフラだけは整えて、釣り方だけではなくて、生き方の情報を入手できる環境さえ準備して、あとは現地にお任せ!でいいのかーと

 

今から2年間、コミュニティ開発として活動に取り組む予定だけど、何をすべきか迷走中。とりあえずまずは早く任地に行ってみたい

 

マラウイ生活一覧

コメント