「幸せ」って何か考えてみた

進路とか

「幸せですか?」

もし、私が今聞かれたら、「幸せです!」と答えますが、大学時代の進路に迷っている時に聞かれたら、答えに迷っていたと思います。


当時は進路の方向性が定まらないことが具体的な悩みでしたが、漠然と「将来幸せになりたい。」とも考えていました。ただ、そもそも「幸せ」って何かよくわからない、ってことで大学の時から「幸せ」に関して色々考え、本を読み、様々な人の意見を参考にしてきました。


自分の中である程度、「幸せ」のイメージ・言語化ができ、青年海外協力隊を経て、価値観の変化が生じるか否か等も楽しみたいので、現状考える「幸せ」に関して記載しておきます。


※アイキャッチ画像に比べて、内容ヘビーです!哲学好き、もしくは理系チックな考え方好きって方には面白いと思います。

結論:幸せ=自己認識

はい、結論としては「幸せ」=「自己認識」であり、以下2つの要素があると考えています。


1)生きているという経験(実感)


2)自分に似た存在の可能性を感じること(ほとんどが無意識)


2つは独立しておらず、むしろ重なる部分が多いと考えています。(図はミスリード・・)

考え方

前提

・ビックバン・進化論の信者です。


・「幸せ」の抽象的なイメージは、プラスの感情の総称って感じです。


・「自己認識」の「自己」は、通常認識する「個体」を越えます。※後ほど詳細記載


生命の原型が生じてから、今日の自分がいるためには、「生きているという経験(実感)」と「自分に似た存在の可能性を感じること」、一言でいうならば「自己認識」に対して、なんらかの快楽(≒幸せ)を感じる必要がある。


そうでなければ、自己を認識する行動が促進されず、絶えてしまうからです。

1)「生きているという経験」とは?

変化を感じることが根本。(ストック < フロー)

具体的な例だと、満腹状態であること(ストック)に幸せを感じるのではなく、食物が流れ込まれてくる感覚(フロー)に幸せを感じる。


前後の違い(変化)を認識するためには、自分という主体が必要(生きているという経験ができる)。


うまくまだ整理できていませんが、「相対性理論」は空間と時間が互換性、不変は光速(速度)であり、空間や時間という概念は、人間が速度を捉えるために生み出した二次的な概念とみなせ、そのあたりに変化や実在の本質がある気がしています。


「人間の真の実在は、あらゆる生命との一体性と調和のなかにある。私と他者が別々に見えるのは、空間と時間の条件下でしか形を経験できないという知能の限界の反映に過ぎない(ショーペンハウエル)」もどこか通じているような。


「多様性」は、種にとっても有効ですが、個体にとっても、変化を感じることとなり、幸せにつながると思います。

2)「自分に似た存在の可能性を感じること」とは?

1)自分に似た存在の認識(同種への親近感、共感etc)


2)生殖関連、家族の存在


3)人類のみの方法であり、人類と他種の違いの一つ。つまり、物理的なDNAという媒体を用いずに、自己に似た存在を残せること(文字・思想・音楽・文化 etc)

改めて「自己認識」とは

ここでいう「自己」とは、通常の概念である「個体(自分)」ではありません。無意識下では「自己」の枠は人によって違うと思います。細胞一つ一つは物理的に離れていながら、DNAの存続のために共同しています。


同じように、人間一人一人も、物理的には離れていても、自分に似たDNAを残すために、いわゆる利他的な行動が生じます。ただ、それは無意識下で感じている「自己」を残すための行為であり、利他的とは言えないかもしれません。「自己」の枠が広い人は遠い国の人、動物、地球のことに対して、いわゆる「利他的」な行動を取ります。


※「自己」の枠がなんとなく狭い人、広い人で優劣等が決まるわけではありません、ただ「違う」だけです。


※霊長類、特に人類は「個体」をよく意識するが、他種はそんなに「個体」に焦点がいっていないという意見もあります。

結局、幸せになるためには(or幸せを最大化するためには)どうしたらいいのか?

「生きているという経験」

変化を感じるため、多様性に触れる、異質な経験が良いと思います。また、結果の内容に関わらず、何か行動すること自体(新しいことにチャレンジするetc)が幸せに寄与するという研究もあります。


「自分に似た存在の可能性を感じること」

1)家族を大切にするっていうことは、こういった観点からも大事だと思います。


2)思想や音楽、芸術を伝えること。(ブログや本を書くことも、ここに根差している気がします。)


3)ベクトルが外に向いていることをする。一例として、「社会貢献(寄付、ボランティアetc)」


→社会貢献とかって、ベクトルがものすごく外に向いている気がします。これによって無意識下での「自己」の枠を広げることにつながる気がします。


「自己」の枠が広がることのメリットは、枠が限定的だと、その枠内での「高さ」を増やすしかない、ただ、よく言われる話で、例えば年収がある一定額以上になると、幸福感と比例しなくなる。先細りするイメージ。

「自己」の枠を広げると、下のドーム的なイメージで、幸せの総量が大きくなる気がします。※体積が「幸せ」

振り返って

「幸せ」はあくまで主観的な感情であり、定義云々も人それぞれで良いと思います。ただ、自分なりに納得できる「幸せ」のあり方を見つけられたら、人生の方向性や決断時の軸になり、より良い人生が送れると思います。

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