派遣前訓練53,54日目 訓練生インタビュー「4班」

派遣前訓練

53,54日目のざっくりとした流れ

 

53日目

休日

 

54日目

所外活動

4班・ナミビア派遣予定・小学校教育・Sさん

 

今回のインタビューは、4班のSさんです。訓練生の中に何名かいるいわゆる新卒組。社会人経験なく、いきなり協力隊に臨む背景を聞きたくインタビューしましたが、学生の時の取り組みに驚かされました。以下インタビュー内容です。

 

協力隊に応募したきっかけは?

鹿児島県の田舎出身です。周りは畑だらけで、自分が当時通っていた小学校は、1-6年全員で約60人。そういったところで生まれ、周りにも海外に行った人はいませんでした。ただ、小学校の頃、両親が共働きで、じいちゃん家のBSテレビで、アフリカの番組をよく見ていました。ジャングルとか見ながらじいちゃんが「おれはこんなところにいきたね。」と言っていて、自分もアフリカに行きたいなと漠然と思っていました。

 

中学・高校も鹿児島県で、父も母も鹿児島生まれ。同じ町で結婚しています。自分の場合、ずっと兄と似た道をたどっていて、サークルや部活も一緒でした。協力隊の存在を知ったのは高校生の頃です。

 

大学で、教職課程を経て、教員になるための試験が夏にある一年前から、試験勉強するか、協力隊に進むかで悩んでいましたが、海外に行きたい気持ちが勝り、応募しました。この前の3月に卒業したばかりです。

 

学生時代はどんな人(専攻、海外経験、国際協力への関心)

小学校はソフトボールをして、中学・高校では野球をしていました。大学では兄を追うように同じ大学に入り、教育学部で学んでいました。

 

兄が関わっていた、障害者支援のボランティアサークルに、人が足りないから来てと誘われ、ずっとその活動をしていました。ダウン症や自閉症の方々を大学に招いて、考えたプログラムを月に一回ほど実施したりしていました。その活動にはまっていました。大学で70年ほど前から活動しているサークルで、社会との共生について考え、障害者の方には交通ルールや季節の認識を伝えたり、余暇の充実方法を考えたりします。

 

来られる方は、中学生から35歳ぐらいの方です。高校を卒業すると清掃員などで職を得て、少し症状が重いと施設に入る方が多いです。接していて自分の視野が広がりました。

 

特に、夏と春のキャンプが印象的です。約70名の障害者の方が来られ、学生が全部運営します。最後の夏は立候補してリーダーを勤めました。参加するかどうかの確認や、障害についての勉強、200名分ほどの料理の準備など、多くの経験をしました。

 

特徴として、このキャンプには障害者の親にも来て頂きます。3泊4日の最後に対面してもらうんです。それまでは、親同士で経験の共有などをして、最後まではお子さんと会わないようにしてもらいます。対面の瞬間は、毎回泣いていました。

 

海外経験は大学の時、旅行でフィリピンとタイに行ったぐらいです。ただアフリカに興味があって、卒業論文はケニアに関して書きました。

 

生活班はどんなグループ?

4班ですが、年齢・職種など背景が様々です。アメリカの大学を出て、海外との石油のやり取りをしていた人とか。班ゼミという、班員同士の学びあいの場では、それぞれの志望について話し、深く話を聞くことができました。アクティブラーニングに関してのゼミもありました。

 

言語はどんな感じ?

英語ですが全然できないんです(笑)話す・聞くが苦手で、現地で大丈夫か不安です。赴任国では、小学校3年生までは現地語で学び、4-7年生は英語で授業を受けます。自分は5-7年生が対象だから英語です。頑張らないといけないです。

 

先生はアメリカ出身の女性です。やさしくて、聞き取りやすい英語を話します。メンバーも楽しく、クラスメンバーで飲んだりもしました。

 

現地での要請内容は?あと、現地でどんなことをしたい?

小学校5-7年生に対し、算数と理科の授業を担当する予定です。ただ、先生不足であり、体育・技術・図工・音楽などのサポートもする予定です。親も含めた運動会・文化祭といった学校行事もできたらいいなと考えています。

 

ナミビアの行けるところは全部まわりたいです。赴任先は砂漠地域で、朝は零度で、昼には40度ほどの生活みたいです。ただ、英語以外での生活に関してはそんなに心配していないです。

 

帰国後はどうするつもり?将来はどんなことをしたい?
大学で小学校と特別支援になるために過程は経ましたので、先生になりたいです。子供が好きだから、日本で教師をしたいですね。

 

「いつか~の力になる」にした理由は?
<Sさん記入>『いつか「子供を笑顔にする」力になる』

 

自分の中にずっと考えていたことです。アフリカの状況を知って、学校に行きたいけれどいけない状況の子どもたちがいる。勉強することで将来の視野を広げてもらいたい。僕が子供たちのためにできることはないかと考え、書きました。

 

幸せだと感じるのはどんな時?

あんまり意識しないですね(笑)不幸とも思っていないです。障害者と関わっていた時、親の方々に協力隊のことを相談したら、プレゼントとかもらってうれしかったです。あとキャンプの対面の瞬間は本当に感動していました。あと寝ることです!(笑)

 

影響を受けた「人物」「本」「映画」があれば教えてください

父親を尊敬しています。教員になるために勉強するか、協力隊に応募するか迷っていた時、協力隊には「断固反対」でした。テロなどが危ないとのことでした。喧嘩して、一年ほど仲が良くなかったのですが、二次試験の前の日に認めてくれました。実は訓練所に入って、1週間ぐらいで手紙が来ました。理解はまだできないけど、応援しているといった内容でした。父親みたいに、家族を支える存在になりたいです。海外のために何かしたいという気持ちもありますが、家族のためになれる人でいたいです。

 

これからの意気込みをお願いします!

訓練所修了できるように英語頑張ります(笑)任地では、ここにあの日本人がいてくれて良かったなと思われるような取り組みをしたいです!

 

<インタビューを終えて>

大学での取り組み、聞いていてすごく楽しかったです。かつ、振り返っている様子が本当に充実した日々だったのだと、聞いている側に感じさせる口調でした。Sありがとう!

 

インタビュー一覧

 

所外活動

派遣前訓練35,36日目 シニア海外ボランティア修了&所外活動と同じ農家に、2回目の訪問。

 

ネギ畑の雑草抜き→昼食→ネギ畑の雑草抜き→きゅうりの収穫。といった流れ。

前回同様たくさんのごちそうを頂きました!訓練所生活、ここ何年かで一番多く食べたします。ありがとうございました!修了式に来てくれるとのこと、ほんとありがたい。

 

 

日曜日の休日は、インタビュー記事をあげつつ、自分もインタビューされる側にも。緊張とかはあまりしなかったけど、貴重な経験をさせてもらいました!

 

訓練一覧

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