訓練生インタビュー「6班」

派遣前訓練

訓練生インタビュー。今回ご紹介するのは6班!「この人の話聞くべきだよ。」と勧められ、このインタビューをきっかけに初めて話したのですが、とっても熱い方でした。

 

6班・マダガスカル派遣予定・青少年活動・Tさん

 

協力隊に応募したきっかけは?

「(サッカー)ボールで、世界中と繋がることができる。」と生徒に言っていたものの、本当にそうなのかと思い始め、まずは自分が現場に行ってみようとしたことがきっかけです。

 

9年ほど、中学校で女子サッカーを教えていました。沖縄県の役所に勤めており、学校に滞在して、建物管理をするのが主な仕事です。そして、生徒の指導にも関わります。最初は男子サッカーを教えていたのですが、中に女子が7名いて、自分たちのチームをつくりたいとのことで、まずはサークルを立ち上げて、部活にしてって感じで続けてきました。

 

ちゃんと教えたいという思いから、サッカー指導者の資格を取ったりしていたら、幸運にも沖縄県の15歳以下の選抜コーチに入りました。ただ、初心者と接する機会も多く、魅力を伝えるためにいつも言っていることは、「ボール一つで知らない人とでも、会話ができる、仲良くなれる。」ってことです。海外の人とも、サッカーで繋がれると。

 

ただ、そうしていることを続けながら、自分がわかっていないんじゃないか、本当に繋がれるのかと思い始めました。ちょうどその頃、海外で日本語を教えていた人に会い、「Tさんのような人は海外に行ったほうがいい、なんで行かないの?」といった話になりました。タイミングよく、何かの縁だなと感じました。

 

その方を介して、協力隊OBに繋いでもらいました。話を聞くと、面白そうだと感じました。ODAは政治やお金などの、ガチガチなものをイメージしていたのですが、一人一人が日本を伝え、日本にまだまだ知らない国があると伝えられるとわかりました。ボール一つで繋がり、世界を見れ、ODAのためにもなれると感じ、応募しました。

 

実は一回目の選考は落ちているんです。健康面でした。なので約一年、健康を変えるために栄養管理をして、二回目の今回で受かることができました。

 

学生時代はどんな人(専攻、海外経験、国際協力への関心)

大学の専攻は電気電子工学科、パソコン系です。中学の頃にポケベルとかが流行りだし、電気や通信に興味をもったことがきっかけです。

 

ただ、大学で電気を学んで、電気は停電になると止まってしまう。ふと電気がなくても大丈夫なようなことを、自分は身につけた方がいいと思い始めました。ちょうど塾のバイトをしていて、人間って知恵と知識が重要だと考えました。かつ、それを与える職種が未来を明るくするとも考えました。知恵とか知識って「広がる」、意欲があればもっと世界が広がると思っています。

 

教員の免許を取るときに、縛りが多いように感じました。なので、バイトしていた塾で正社員になり、5,6年いました。ただ、結婚を機に午前中の仕事がいいと感じ始めました。教員免許もっていましたが、先ほど述べたように、教員は縛りがきついように感じ、子供の横の関係で寄り添うことが、難しそうだと感じました。そんな時に、役所で学校の施設管理をしながら、生徒に寄り添えそうな仕事があり応募したのが今の仕事です(現職参加)。

 

海外で働いたことはないです。沖縄から行きやすいっていうこともあり、アジアだとフィリピン・マレーシア・ミャンマー、タイ、台湾、中国、韓国など、旅行では色々行きました。

 

国際協力への関心は前述の内容まではまったくありませんでした。ただ、日本で旅行するよりかは、海外で旅行したい気持ちはありました。異文化、日本にはない料理などが魅力でした。トイレの汚さや、子供の物乞い等は海外で見ましたが、経験もなかったし、何かしようとは思っていませんでした。

 

ちなみにサッカーは高校からで、大学3年生までしていました。

 

協力隊に応募する前は何をしていた?(仕事はやめた?)

役所の者ですが、ずっと学校にいました。ボランティアで、深夜徘徊している若者の補導員もしていたことがあり、校長先生に施設管理とあわせて、生徒指導もお願いされました。なので、学校に来ない生徒を家に迎えに行って、授業出ないなら一緒に畑仕事したり、簡単なものを一緒につくったりしていました。成功体験ができればいいなという思いや、そこから意欲がわいて、勉強するようになって欲しいという思いからです。仕事はやめず、現職参加です。

 

生活班はどんなグループ?

6班は自由だと思います。あわすよりかは、理解するような班です。それぞれの良さが、一つの良いバランスをつくっていると思います、誰かが抜けると崩れそうだけど、すごいバランスを保っています。

 

6班は班長の呼びかけで敬語を使いません。これにはみんな賛成で、私は年長側ですが、不愉快には感じず、みんな兄弟みたいだなと思っています。

 

言語はどんな感じ?

フランス語、ド素人です。でも初めて言語の勉強が楽しいと思っています。中学校の時、先生に英語の発音を馬鹿にされて嫌になりました。フランス語はとんちんかんだが、ここでは先生がよく褒めてくれます。自分の性格なのか、多くの人が話せる英語ではなく、みんなが困っている時に、フランス語をぱっとしゃべりれるような場面をイメージして頑張っています。

 

先生はモロッコ人、日本語や英語含め5各語話すことができます。文法にこだわりすぎず、単語一つでもいいから使っていこうというスタンス。また、授業をとめてでも、わからないと丁寧に教えてくれます。

 

現地での要請内容は?あと、現地でどんなことをしたい?

市の公民館のようなところの有効利用が主な仕事です。また、すぐ近くにグラウンドがあって、かつマダガスカルはサッカーが人気。でも指導者が圧倒的に少ないので、クラブチームを立ち上げたいとも考えています。

 

市の人口の80%が20歳以下。なので、休みの日などで市の行事に絡め、若さとスポーツで市を盛り上げたいです。また、沖縄で三線をしていたので、それを通じて文化交流したいです。

 

帰国後はどうするつもり?将来はどんなことをしたい?

現職参加であり、短くても2年ほどは続ける予定です。現地での経験を還元したい。ただ、それ以降は日本を出たいとも考えています。せっかくなのでフランス語で仕事したいです。イギリスがEUを脱退し、ヨーロッパにおけるフランスの位置づけがますます重要になってくると思います。フランスの外資系なんかも興味があり、フランスとマダガスカルを繋ぐことに関心があります。

 

サッカー留学のようなこともできたらいいと思っています。経済的な状況とかで困っていても、サッカーの成績や、フランス語の成績でマダガスカルの子をフランスに繋ぐことができたらいい。

 

「いつか~の力になる」にした理由は?

<Tさん記入>『いつか「世界中の子どもたちの”夢”を広げる」力になる』

 

沖縄の生徒には、自分が協力隊に合格してから、いつも言っていたことがあります。自分は英語ができない、フランス語も今まったくできないが、行ってくる。そして絶対2年間を終えて帰ってくる。今、英語ができないとか、何かができないからといったことで、視野を狭くするなと。

 

視野を狭くして欲しくない、先ほど述べたようにフランス、マダガスカル、さらには日本がもっと繋がればいい。自分はパイプ役として頑張りたいという思いから書きました。マダガスカルで取り組み、さらには活動をアフリカ全体に広げたいとも考えています。

 

幸せだと感じるのはどんな時?

今のようにしたいことしている時は幸せです。沖縄に「命どぅ宝(ぬちどぅたから)」という言葉があります。生きていればそれだけど幸せ、お金がなくても、迷惑かけても死なないこと。生きていることに意味がある、生きていること自体が幸せだと思っています。

 

影響を受けた「人物」「本」「映画」があれば教えてください

「コーチカーター」っていう映画、プロのバスケの話です。バスケにおいて、頭が悪いとダメ、真摯であれといった感じです。迷っているときにいつも見る映画で、もう10回以上見ています。

 

これからの意気込みをお願いします!

死ぬまでに、自分に関わってきた人に伝わるように、何か残したいです。疎遠になって今どこで何をしているかわからない人にも届くようなことをしたい。あと、関わった人への恩返しといった意味でも頑張りたいです。

 

<インタビューを終えて>

「自分なんか何もないっすよ」と謙遜気味にインタビューを承諾してくださったTさん。お話を着ている最中は、終始とても真剣かつ熱い口調で、今や今後に対するまっすぐな姿勢を学びました。

 

ただ、インタビューの時間帯は近くでお祭りがあって、みんなが帰ってくるタイミング。様々な人がTさんを訪れるために自習しているところに訪れ、ここでとても慕われている印象を受けました。Tさんありがとうございました!

 

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