備忘録かねて、後期授業(Internet, Society and Economyという授業)の最終課題に関する内容を記載します。4000 wordsのエッセイで、「データ社会はどのような排斥をもたらすか?その対抗策は?」というお題です。
参考例題がいくつか授業で紹介され、先生と話してこの内容・お題で書くことに決まりました。
インターネットの普及
1960年ごろから研究者向けにコンピューターが広まり始め、1990年代初頭にネット関連の商品も改善が進み、一般へのネット関連の普及が始まりました。
デジタルデバイド(Digital Divide:情報格差)という言葉は、1998年、アメリカ政府機関の報告をきっかけに、広く使われ始めました。(FALLING THROUGH THE NET II: NEW DATA ON THE DIGITAL DIVIDE)
ここでは当時のアメリカにおける都市部の富裕層と、田舎の貧困層との比較などが報告されました。例えば、前者はネットを利用できる世帯が50.3%に対し、後者は2.3%といった内容です。
ただ、ネットの普及に伴い、「ネットが使えるか否か」以外にも、データ社会がもたらす格差・社会的な排斥が問題になり始めました。
インターネットが使えるか否か?
まずはそもそも、ネットが使えるか否かです。世界銀行によると、2018年でネットを利用している個人は世界でほぼ50%になりました。しかし、Sub-Saharan Africaといわれる、サハラ砂漠よりも南に位置する、比較的発展が進んでいないとされる地域では、この数字は25%ほどです。
また、収入や高齢といった原因から、いわゆる先進国でも一定数ネットを利用できないorあえてしない人がいます。例えば、イギリスにおいては2019年、約1200万人(人口の約22%)が基本的なネットを利用するスキルが欠けていると報告されています。(Lloyds Bank )
このような状況では、特にある程度ネットが普及している社会においては、オンラインでの求職探し・手続きが求められ、そういった環境がない人は非常に不利になります。こういった問題は経済面だけでなく、教育や電子サービスばかりになった公的なサービスにおいても問題となります。
ひとつの単純な解決策としては、公共の施設(図書館など)へのネット環境の導入が考えられます。ただ、特に発展途上国のような、大勢の人がこういったものに不慣れな場合、ただ単に環境やデバイスを提供するだけでは十分とはいえません。
例えば、One Laptop per Childという、安価なコンピューターを途上国の子供に提供しようというプログラムがありますが、提供するだけで、継続的にうまく利用できるようにするサポートが不十分といった問題が報告されています。
これに対しては、受益者を単なる消費者として考えるだけでなく、その人たちが開発者になるレベルまで考慮したサポートが大切といった指摘があります。(詳しくはこちらの日本語のブログ参照)
インターネットを使えても
インターネットがある程度普及すれば、目的やスキルによって得られる便益も異なってきます。
例えば、高学歴の人ほど経済・健康などに関する情報を得るために、低学歴な人ほどゲームといった比較的得られる情報が少ない活動にインターネットを利用するといった報告があります。(van Deursen & van Dijk)
こういったことから、教育レベルや経済的な格差の広がりが助長されるとされています。対策としては、利用方法の講義などを提供することが考えられます。ただ、この問題に関しては、個人の責任が不明瞭でもあり、ぶっちゃけ難しいなという印象です。
データに溢れた社会
昨今ではIoT(Internet of Things:モノのインターネット化)なども進み、至る所にデータがあります。
このような社会においては、便利になることもたくさんありますが、自動的な排斥・不平等がうまれる恐れがあります。例えば、児童虐待リスクを検知するシステムにおいて、人種などに基づき、比較的高く虐待のリスクがあると判断される場合があります。こういった検知は初期の人為的な設定の段階で偏見が組み込まれている場合があり、警鐘を鳴らしています。(本↓)
また、様々な国が指紋やDNAを個人の特定のために行政が収集しています。しかし、そういった取り組みから漏れてしまった人が、行政サービスを受けられないといった問題も浮上しています。(例えば、Kenya’s New Digital IDs May Exclude Millions of Minorities)
対策としては、サービスの設計時において、見込み利用者や市民を巻き込むことが重要になるかと。
今後と今思うこと
コンピューターやネットの普及に伴い、様々な問題が生じています。では今後は?
更なるデータ社会では、コンピューターが多くの職を代替するというのはよく聞く話かと思います。(特にビジネス書でよく引用される、オックスフォード大学のフレイ&オズボーンの論文は有名かと。)
最近ではコロナの影響で休校が続く中、オンライン授業の遅れが日本は指摘されています。個人的にはデータ社会の発展や、それに伴うコンピューターによる仕事の代替、オンライン授業の普及などは賛成派です。
ただ、そうなったときに、不利益を被る人や、格差の広がりが生じる懸念も考慮することを忘れないようにできたらと思います。
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