青年海外協力隊インタビュー! スーダン隊員

派遣中

世界各国に散らばる青年海外協力隊へのインタビュー企画。今回は派遣前訓練でもインタビューに応じてくれ、スーダンに派遣、そして現在情勢の変化に伴い、日本に一時退避中である、Iさんに色々お聞きしました!(協力隊に応募した経緯などに関する、訓練時の記事はこちら

 

2017-2次隊・スーダン・障害児者支援・Iさん

 

まず初めに、活動の環境に関して教えて下さい。

首都からバスで1時間ほどの町で、電気・水道・ガスは基本的に使える環境で、断水とかも週に1時間ちょっとのが2,3回あるぐらいだった。

 

ネット環境に関しては、基本的に使えるんだけど、アメリカの経済制裁の関係で、アメリカ系のサイトは使えないことがあった。

 

でも、FacebookやTwitterは使えるし、VPNを使えば基本的に何でも大丈夫。ただ、デモが活発になると、VPN自体がうまく作動しないこともあったな。(※VPN:アクセス規制状況で利用できる、仮想ネットワーク。)

 

天候は、夜でも30度後半とかだから、任地の男性は、庭や家の前の道で寝ることもある(笑)それだけ治安の良い環境だった。

 

スーダンの魅力はどんなところですか?

人がやさしい!誰にでも親切。日本人はお金持ちという認識があるみたいだけど、「お客さん」という考えもあって、気づいたら全然話していない人がバスの運賃を払ってくれるなんてことがよくある。

 

あと、めっちゃ感動したんだけど、人が込んでいる中、外国人だと割高になるタクシーは避けたいなとウロウロしていたら、タクシーに交渉して、しかもその代金を払ってくれた人もいた。あいさつを誰とでもする文化も好きだね。

 

ピラミッドの数がエジプトよりも多かったり、世界遺産にもなってる綺麗な海もあるよ。

 

活動はどんなことをしていた?

知的障害の子供に対する、特別支援学校での活動。要請内容は自閉症の方への支援だったんだけど、そこにはほとんどいなかった(笑)だから、ここで体育や音楽の授業なんかもしてた。

 

あと、配属先の授業は7-13時で終わっちゃうから、その後日本語を勉強している人の集まりで、お手伝いとかもしていたな。

 

協力隊前と今で、価値観の違いはありますか?

協力隊前は、自分の家族や友達が幸せになってくれればそれでいいって感じだったんだけど、スーダンの誰にでも親切な文化に触れて、もっと色んな人に貢献したいなって思うようになったね。

 

日本へ退避となった、情勢の推移について教えて下さい。

順を追って話すと、数年前にデモが起きた時、多くの人が軍との衝突で亡くなった。それがあって、アラブの春の時は、スーダンでは特に何もなかったんだよね。でも、物価が上がり続けていたりと、不満はどこかしら溜まり続ける状況だったみたい。

 

そこに、去年の12月、主食のパンがいきなり2倍くらいになって、デモが本格化した。政府の施設が燃えたりといったことが、各地に広まった。伴って、それまでは全然なかった、JICAからの自宅待機の指示が出始めちゃった。

 

その後、収まりつつあったんだけど、以前の革命記念日である4/6に大きく動いた。大勢が軍本部の前に押しかけ、民衆に付くように訴えた。銃で亡くなった人もいるけれど、訴え続け、遂に軍が民側に付き、クーデターの決行を決めた。すると、30年続いた当時の大統領は、クーデターが起こる前に辞任を宣言しちゃった。

 

なんだけど、その後トップになった軍の人の演説が、国民の期待に沿うものでなく、ここにも抗議の声が上がり、結局すぐ別の軍の人がトップに就いた現状。ただ、今でも民主主義への移行を求め、デモが続いているみたい。

 

ご自身の状況はどう変わっていったのですか?

丁度旅行中、さっき言ったことが色々動いたんだよね。別の隊員のところにいたんだけど、自分にはすぐに首都に上がるように指示があり、その隊員には帰国の可能性を入れて上がるようにとの指示だった。それまでも何度か首都退避はあったんだけど、帰国の可能性を示唆されたのは初めてだった。

 

それから首都のホテルに数日間滞在し、基本的に外出は禁止だった。そして、大統領の辞任が決まったその日「明後日帰国となります。」ってJICAからいきなり連絡が来た。

 

※青年海外協力隊では外務省の定める危険レベルが2以上の地域への派遣を禁止しており、スーダンではそれまでレベル1だった状況が、一連の推移によってレベル2に変更。そのため、日本へ強制退避となった。

 

今はどうしているのですか?

レベルが1になればまた戻って活動できるので、日本でその待機中という位置づけ。なので、お金を稼ぐようなことはできないんだよね。

 

この7月に2年の活動を終える予定だった隊次は、強制的な任期短縮。10月に終わる自分たちの隊次はスーダンに戻ることを待機中。更にそれよりも任期が残っている人は、それだけでなく、案件があれば別の国での活動に変更するかも選べる状況だね。

 

今後はどうするつもりですか?

まずはスーダンに戻ってまた活動したい。将来的というか、来年はデンマークでのワーキングホリデーを考えている。日本とスーダンでの障害者支援を通じて、福祉国家と言われるデンマークがどのような状況か、実際に住んで知りたくなった。

 

あと、もっと将来的なことを言うと、いつかは障害者やその家族が集まれるゲストハウスを開いてみたいな。日本だと、障害者自身へのサービスはあるけれど、その家族も含めたサービスが希薄な気がしている。スーダンでは家族も含めて、みんなで助け合っていた。

 

協力隊を通じて、スーダンにとって大事な時、自分はデモに参加できず、自宅に待機しないといけない。更に今じゃ、日本で落ち着くのを待っている状況がもどかしい。

 

でも、今こそスーダンのことを知ってもらうタイミングかなとも思っているから、話す機会を設けてもらっているところ。なので、このインタビューもありがたかったよ!

 

訓練時代に述べた、「いつかスーダン(の力)になる!」に向かって頑張るね!

 

ありがとうございます!

 

日本に比べ、どうしても情勢が不安定になりがちな、協力隊派遣国におけるリアルを教えてもらいました。かくいう自分も、配属先の先代隊員は、2016年におけるテロにより、バングラデシュで協力隊活動ができなくなり、マラウイに変更となった方です。

 

更に現在大統領選挙真っただ中であり、首都に一時的に退避している状況です。この記載日も、マラウイの全隊員が外出禁止の指示を受けています。

 

日本で待機中という複雑な状況の中、スーダンのことを知ってもらいたいという思いから、快くインタビューに受けてくれたIさん、ありがとうございます!

 

Iさんの訓練時代インタビューはこちら

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